干し椎茸の戻し汁(エッセイ)

誇り高く生きた小さな立役者。

私の知る限り最も誇り高き女性が、昨日、荼毘に付した。
華奢で小さな叔母(95歳)だった。

平福久子という人。

彼女の父(私の祖父)は医師で、8代続く医師の家系。
彼女の母(私の祖母)は文化勲章を受賞した川端龍子の娘。
そんな両親のもとに生まれた子供は9人。
その中でも彼女は一番最初に生まれた長女で、超絶生粋のお嬢様。

川端龍子は、横山大観・川合玉堂とともに近代日本画の三大巨匠のひとりに数えられる画家。 洋画家として活動をはじめたが、渡米して日本の古美術と公共建築の壁画にふれたことをきっかけに日本画家に転向。

戦前から朝食はパンとミルクティー。
戦後の物資が足りない時代でもその習慣は崩さず、住み込みのお手伝いさんに毎朝闇市へパンを買いに走らせていた。

そんな彼女の夫はこれまた日本美術史に名を残す平福百穂の息子。

平福百穂(1877-1933)は、日本の日本画家であり、南画(文人画)を学びつつ、大和絵や洋画の影響を受けた独自の画風を確立。京都で活躍し、詩や書道にも秀でており、多才な文化人として知られている。

川端龍子の孫である自身と平福百穂の息子である夫。
時代もあってか、振る舞いはまるで梨園の妻のごとく。
川端と平福の名と品格を守る事に喜んで人生を捧げた人だった。

けれど、ただただお嬢様で順風満帆だったわけではない。

彼女の長男はお産の際の医療ミスで、立ち上がることはおろか、自分で食事を摂ることもできない重度重複障がいを負った。
人の手を借りなければ外出も着替えもできず、意思疎通も難しい我が子。
時代もあり、大変な苦労をしたであろうことは想像に難くない。

さらに、その後生まれた期待の次男は30代の若さで癌が発覚し、発覚からたったの3ヶ月で逝去。

そんな中で幸いにも、30歳まで生きられないだろうと言われた長男は60代の今も健在で、
叔母は60年以上前から晩年に至るまで障がい者施設に多額の寄付と支援を惜しまなかった。

お嬢様がやってきた。

そんな彼女が、我が家のすぐ近くの介護施設に入ったのが4年前。

入所して間もなく電話がかかってきて、サイズと色指定のチェストをネットで探して購入するよう指示された。お願いではなく、指示だ。

そして数日後、今度は施設に届いたチェスト(かなりでかい)を組み立てに来いとの指示。
工具を一式持っていわゆる老人ホームのロビーで作業をした。

施設の方に「こんな大掛かりな家具を持ち込む人なんているんですか?」と聞くと、大掛かりどころか普通は家具なんてひとつも持ってこない人も多いとのこと。

けれど叔母が持ち込んだのはこのチェストに留まらず、百穂の肖像画と龍子の絵を飾るためのさらにでかい戸棚を、家具職人を呼びつけてフルオーダーで造作させていた。

その後も、何かにつけては電話がかかってきて「〇〇してちょうだい」と指示をされた。

けれど、叔母からの指示は不思議と嫌味がなく「はいはい、わかりましたよお嬢様。」と言いたくなるし、数日連絡が来ないと「お嬢様何かお手伝いすることはありますか?」とこちらから聞きたくなるのだから不思議だった。

自分をどう扱われるべき人間と位置付けるか?

今思うとそれは、叔母の放つ「自分はそう扱われて当然である。」という誇り高き精神がそうさせていたのだと感じる。

人は、自分が自分を扱うのと同じように、他人から扱われる。自分を卑下する人は人からも卑下されるし、自分を丁寧に扱う人は他人からも丁寧に扱われる。

例えば1000万円する腕時計をつけていたとして、つけてる本人が気にせず泥まみれになっていたら、それを見た誰もが「安価な時計なんだろうな」と想像する。そして、同じように雑に扱うだろうし、少なくとも、1000万円なりの丁寧な扱いはしない。

人間もそう。

今現在、私は個人事業主のブランディングを主たる仕事としている。そんな中で嘆きたくなるのは、自分を低く見積もろうとする人の多いこと。

特にサポート業の人に多い。自分の仕事なんて所詮サポートですから…メインじゃないですから…と謙遜(卑下に近い)する。それじゃあ売れるものも売れない。
そんな人に、わが叔母を見習ってほしいと思う。

自分の価値は自分で作る。

叔母本人は正直何か社会的に認められるような、わかりやすく表彰されたり、どこかに名を刻むようなことを成し遂げたわけではない。
けれど彼女は「今は亡き平福百穂と川端龍子の名を守るのは私の使命。」と言わんばかりに、各所へしゃしゃり出ていった。

どこかで展示があると聞けば日本全国飛んで行って「館長さんいらっしゃる?」と美術館の館長と名刺交換をし、たくさんの招待チケットをもらってきては、他の兄弟たちに「平福(川端)の血を引くのだからあなたもご挨拶にいきなさい。」と指示をした。
それで秋田まで呼び出されたこともある。

80歳を超えてからは、自費出版で平福百穂を一冊の本にまとめ、配り歩いた。その制作費用、なんと800万円。

自身の葬儀だってとにかく派手にやってほしいと指示。
生前に遺影の指定から何から全て指示がしてあり、連絡先のリストは600名超。(下手な個人事業主よりリストの数が多い…)

それもこれも全ては平福と川端の血を継ぐ人間なら当然。
ましてや平福と川端を支えてきたのは私なのだから、当然でしょう?という声が聞こえてきそう…。

ただの「役割」で人の価値は決まらない。

日本人特有の謙遜という美学はあるけれど、美学としての謙遜と、本気の卑下や、自信の無さを隠すための謙遜は全く違う。

人にはそれぞれ場面に応じた役割があって、世の中はその役割の集合体。絶妙なバランスで成り立っている。
けれどそれは所詮、ただの「役割」でしかない。リーダーだから偉くて、サポーターだからそれより下なんて事実はないのだから、皆が平等に、自分の役割に誇りを持ち胸を張ったら良い。

大事なのは役割がなんであるか?ではなく、その役割をどう全うしたかなのだ。
誇り高き叔母からは、そんなことを学んだ気がする。

最期まで役割を全うした人生。

最期の半年ほどは少し意識がぼんやりして、電話をかける方法を忘れてしまった叔母。
電話が来なくなってからも、こちらから様子を見に行くといつも「また来てね」と、か細い声で何度も言った。
「ちょっと照葉ちゃん、プリンを買ってきてくださる?」そんな些細なことでも私を呼び出していたのは、施設に入って人恋しかったこともあるのだろう。

そして、電話をかけられなくなっても、歩けなくなってもなお「〇〇という障がい者施設に寄付の振込をお願い。担当の方にもお手紙を送っておいてね。」「そこにある百穂の絵が入る桐箱をオーダーして。箱ができたら〇〇美術館に寄付したいから送ってね。」何度もそんなお使いを頼まれた。

昨日、私が知る中で最も誇り高き女性が荼毘に付した。
私もその彼女と血の繋がりがある。
それが私の誇りであるし、そんな誇り高き私と血の繋がりのあるさらに下の世代がみんな、自分の役割を全うし、叔母のように誇りを持って生きてくれるといいなと願う。

久子おばちゃん、そう思わせてくれて、本当にありがとうね。
(叔母さまと呼びなさい!と怒られそう。)

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クロハテリハ
ブランドエディター・グラフィックデザイナーです。 2016年にフリー転身。主に個人事業主のビジュアルを含めたブランド作りのお手伝いしてます。人の【変】な部分が大好物。普通の人なんて一人もいないし、みんな自分が変だって気付けばいいのにと思ってます。ウイスキー好きさんも大歓迎。
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