活動レポート

ダンサーのためのサポートインストラクター|平栗あい子【ブランドストーリー】

いちばん古いダンスの記憶

バレリーナごっこをしていた幼稚園での私。これがいっちばん古いダンスの記憶。
友達とイメージだけでバレリーナの真似をしていました。

「あし、いたいよねぇ」「ほんと、たいへんだよねぇ」というセリフで 母に「嘘はいけない」と怒られたのを覚えています。 バレエを習っていることにしてのごっこ遊びなんだけど。

物心ついた時には本気で踊ることが得意だと思っていて、 演技でも歌でも人前に出ることは何も抵抗がありませんでした。
それどころか人前に出たい。目立ちたい!という小学生でした。 今考えるとなんであんなに人前に出たかったのかわかりません。

ある日、高校の文化祭で踊る私を見て、幼馴染のお母さんがモダンダンスを習うことを勧めてくれたんです。

初めてダンスを習うことになり、基礎ゼロで壁にぶつかります。 でもスタジオの先生はこんな私でも1から育ててくれて、高校の2年間ですっかりダンスにハマることになりました。
発表会や公演など、いろんな舞台の機会を与えてくれて、大学受験は先輩と同じ舞踊の学校に行きたいと思うほど、ダンスが毎日の原動力になっていました。

数少ない舞踊系専門学科ということもあり、難しいのは承知でしたが、日本体育短期大学舞踊専攻を一本で受験することに決定。 学校の先生に「お前に体育大は無理」と言われたことで頭に血が上り、「受験に勝ってこの先生に1番に報告しに行ってやる!」と本気で勉強する毎日。

無事合格して職員室にドヤ顔で入って行ったことは忘れられません。

ただただ、踊ることが幸せだった2年間

大学は2年間。 朝から夕方までクラシックバレエ、モダン、ジャズ、日舞、スペイン、リトミックにパントマイム!そして夕方からはスタジオに移動してモダンダンス。
指導助手をさせていただけるようになったり、カンパニーへ参加、コンクールや新人公演のオーディションに合格したり、幸せでした。

でもこれだけ踊っていて自分のケアをしてこなかった私です。怪我もしました。ハプニングでの足の指の脱臼、筋肉の損傷、首の捻挫。
でも、どれも長期でレッスンを休むことにならなかったのも幸いして、大事に至ることなくノンストップの2年間を過ごしました。

短大卒業後は就職はせず、指導助手とバイトの毎日。踊る時間が確保できたことでいつでもスタジオにいる人になっていました。
うまくいかないこともありましたが、たくさん踊れたこの頃は私の財産です。

ただ、今考えると、この頃に身体の勉強をしておくべきだったと思います。

身体や心のことをケアしつつ、私が踊る意味を考え、目標やゴールをもっと明確にしていたら、 無理なスケジュールで自分を追い込んでいくことなく、もっと長く現役で踊れていたと思います。

私達は何で踊るんだろう?

誰かのために踊ることを続けているダンサーを見たことがあります。
お母さんが喜んでくれる、先生が自分のことのように喜んでくれる、それが嬉しくて、モチベーションになっている。もちろんそうなんです。

自分が踊ることで誰かを喜ばせることができるのはとても素敵なこと。
でも、踊っているのは自分で、お母さんでも先生でもありません。
自分の身体や精神、時間、人間関係を犠牲にして踊ることになってしまっては本末転倒、とても続きません。

楽しくて踊っていたはずなのに。いつの間にか苦しいことの方が大きくなってしまった。
辛い、痛い、逃げたい、でもそんなことは言えない。とにかくこれさえ乗り切れば。
という負のループは想像以上に深くて苦しいものなのです。

先生から見たら昨日まで楽しそうに踊っていたのに、急にどうしちゃったんだろう?ということになってしまう。
そうなる前に誰かに話せていたら、相談できていたら、崖に向かって歩くこともなく、遠回りだとしても安全な道を選んでいけたかもしれません。

私が踊りたいから踊る。感情を身体で表現したい。
難しいことにチャレンジしているから自分が成長できる。
自分の心のバランスを取る手段として必要不可欠なもの。
そんなふうに自分に矢印が向いていたら、「今の自分」で踊れることが満足いくものになると思います。

誰かのためにではなく、自分の感情で踊るからこそ、目標の高さにも恐れず、成長の階段を元気に一歩ずつ登っていけるのではないでしょうか。

「舞台どうだった?」
「すっごい楽しかった!またやりたい!」と言っていたあの頃のように舞台を楽しんでもらえたら、自分も周りもみんな幸せ。
それこそが、私たちが踊る意味なのではないかと思います。

幸福なライフステージの変化が落とした影

ダンサーとしてこれからやっていくぞ!と意気込んでいた現役時代。
私のそれは長く続きませんでした。

結婚、出産などの嬉しい環境の変化は、同時に、ダンサーとしてブランクに突入することを意味していて、病気、ケガ、年齢という経験はダンサーとしての自分が下降していく気がしてしまい、焦りや絶望とか終わりという言葉が浮かんできました。

あそこで中断していなければ・・・。
まだ現役で踊れていたら・・・。

ある一つの環境の変化がこんなにも自分を変えてしまうとは思っていませんでした。

今となってはもうあの頃には戻れないし、あの頃の自分にも追いつけない。これが重くずっと心の中にいて、過去を振り返って、それを選ばなかった人生を想像することもありました。

ブランクの間は何者でもない私。アイデンティティもなく、ただただ必死なお母さん。
でも、ある時ふと「自分にはダンスがある」と思い出すできごとがありました。

どんなことがあってもダンスから離れない

娘が4歳、幼稚園の夏休み。とっても長い休みで毎日どう過ごそうか考えていた時、習い事という選択肢が頭をよぎりました。
娘は幼稚園でお友達と遊んでいる時に、ふと気になったものに夢中になってしまい、お友達から怒られるというエピソードを聞いたりしていたので、自由にやりたいことを、思うがままにやらせてあげられるものを探し始めました。

アート教室、英会話、運動系、理科の実験のようなもの、もちろんダンス教室も調べました。
遠かったり単発のワークショップだったり、びっくりするほど高額のものもありました。
通うにしても、2歳下の弟を連れての行き帰り、雨の日はどうするかなど、なんでもいいわけではありません。習い事探し、意外と難しい・・・ため息。

その時ふと、自分でやっちゃう?と思いつきました。
娘は人前で何かするというのには抵抗がないタイプ。
そして動いてなんぼ。疲れさせて寝かすのが大変なタイプ。
それなら私がダンスを教えればいいんじゃない?

幸い、私は現役時代に指導助手という形で幼児クラス、小学生クラスの教えを経験していました。
うちで遊ぶことの延長でダンスやってみない?とママ友に声をかけ、Mちゃん姉妹と娘の3人、うちのリビングでバレエのまねっこのようなことから始めました。
夏休みの間、お友達と遊べて嬉しかったようで、しかも3人とも踊るのが楽しそう!
リビングでのごっこ遊びをもう少し本格化させてみようと、近所にあるお茶屋さんの2階のお部屋を借りてみました。
小さいけどCDプレイヤーと鏡がある立派な稽古場です。

お友達からお友達へ、少しずつ仲間が増えていき、なんとサークルという形が出来上がりました。

そしたらなんだか急に先生の言葉を思い出しました。
「どんな形でもいいから、踊りから離れちゃダメよ」
すっかりお母さんモードだった私が現役時代に戻ったみたいでした。
こんな形でも「踊りに関わっている」ということになるかもしれない。

ここから私の第二のダンス人生が始まりました。

踊りを止めて労ることで見えたもの

仲間が増えて「お部屋」で踊ることが、「舞台」で踊ることへと大きくなって、
「仲間と楽しく」踊ることが「生徒を育てる」ことへと変化し続けていきます。

第二のダンス人生は自分のためにではないけど、誰かのために自分ができることがあって、
生徒の笑顔が原動力になっていることが嬉しく感じます。

色々な子が増えてくると、指導も段々と難しくなってきます。
指導の勉強が足りないことに気づき、自分に必要な勉強を探し始めました。
そしてDancers Life Support.comの佐藤愛さんと出会いました。
バレエ解剖学でダンサーの身体のこと、心のこと、環境作りのことを学び続け、ついにはエクササイズインストラクターの資格も勉強し始めます。
指導に活かせる専門的な知識を得て、指導もサークルの軸もしっかりとしてきました。

そこに突然やってきたコロナウィルス。世界中が一旦停止。
みんなで一緒に踊ることができなくなりました。
サークルも勉強もそれまでのようには活動できません。

それまで夢中で前だけをみて突っ走ってきた私の目の前に急に穴が開き、落とされたようでした。

そして初めて自分が息切れをしていることに気づきました。
私と同じように感じていた人がたくさんいたんだと思います。
自分のことを認めてあげるという声がたくさん聞こえてきました。
「酸素マスクは自分から」「シャンパンタワーの法則」「自分で自分の機嫌を取ろう」
いろんな人から自分を認めていいよ。自分を一番大切にしていいんだよ。と教えてもらいました。

オンラインでの指導の勉強、それぞれの家でオンラインレッスン。
その時できることで徐々に活動を再開していきました。

私は今まで二の次にしてきた自分を大事に思うことができたから、今度は生徒たちのことがとても愛おしく感じてきて、この子達を大切にしていきたいと心から思いました。

形を変え続いていくダンス人生

私は今は現役の時のように踊ることはなくなってしまいました。
自分がプレイヤーでいることがアイデンティティだった頃には考えられない現状です。
でも今はプレイヤーを支えることに使命を感じています。
エクササイズと出会ったことがきっかけで考えが大きく変わりました。
数年前の私は、「時間がない」「自分は後回しでいいや」「疲れちゃった」とやっぱり何もしていなかったのですが、先生が体壊してヒーヒー言ってたら、

”踊るのは疲れること” 
”大人になったらみんなみたいに踊れなくなる”
って生徒に伝わっちゃわないか?!こんなことを伝えたいんじゃない!と気づいたのです。

怪我をしないようにと言っている先生が、ダンスで怪我したら目も当てられません。
楽しく踊ろうって言っている先生が、もう踊れないと言っていたら生徒がかわいそうです。

自分のことにも気を使わないといけない。時間がないなんて言い訳している場合じゃない。
でもお母さん業や先生業、経理のおばちゃんと毎日意外と忙しい。

私が踊る時は自分の気持ちが動いた時。
踊りたいから踊る。伝えたいことがあるから舞台に出る。
やっとここに辿り着いたんだ。
ここからが楽しいダンス人生。

いつでも舞台に出られる自分でいるために、プレパレーションを

突き詰めるダンスではないけど、踊るなら現役の頃のように踊りたい。
その時のために、自分のケアやトレーニングの時間を意識的に作るようになりました。
本番のクライマックスで5回転するためのプレパレーションをしている感じ。

しかもそれが辛いものではなく、プレパレーションの間にどんどん成長しちゃっている!
舞台のチャンスが来たらすぐにジャーンと出られるように準備をしています。
先生がぶっ飛んでいれば、生徒もぶっ飛んでいいんだと思えるし、先生が真面目に踊りと向き合っている姿を見れば、生徒も真面目に踊りに取り組むことが当たり前だと思う。
生徒にそう伝わっていると嬉しいです。

そして、辛くても頑張ってしまうダンサーに、自分を二の次にしてしまっている先生に、自分を大切にすることが一番大事だと伝えたいのです。

お手伝いできることは私の中にたくさんあります。
自分の心と身体と心のメンテナンスが当たり前のものになるために、これからもインストラクターとして活動していきます。

ダンサーに怪我はつきものだとか、痛みを我慢することが美くしくプロだというのは過去の話し。私は、自分を愛しながら自由に踊ることがみんなのゴールになっていく。
そんな未来を信じています。

平栗あい子さんの最新情報

https://www.instagram.com/aikohiraguri/

ABOUT ME
クロハテリハ
ブランドエディター・グラフィックデザイナーです。 2016年にフリー転身。主に個人事業主のビジュアルを含めたブランド作りのお手伝いしてます。人の【変】な部分が大好物。普通の人なんて一人もいないし、みんな自分が変だって気付けばいいのにと思ってます。ウイスキー好きさんも大歓迎。
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