前の記事の最後に「10年以上かけて限界を迎えるまでの話」と書いて終わりました。10年以上、です。長い。
「普通の会社員」を目指した私が、じわじわと削られて、今に至るまでのこと。
会社という場所で、じわじわ削られていった
デザイナーとして就職した私は、最初の数年で気づきました。 私、会社というものが根本的に合わない。
大学時代のように「一つの課題に向かって最善解を探す」のは得意でした。でも会社は違う。
複数の課題が複雑に絡み合って、そこに忖度と理不尽と上下関係がぐちゃぐちゃに絡んでくる。
最善策がみんなには見えているのに、上役の一言でひっくり返る。 いい大人がみんなして最善を尽くすことを諦めて、言われた通りに動いて疲弊していく。
服装や髪型すら自由にできない。邪魔な個性は殺せと言われてるみたいで…。
それでも10年以上続けられた理由は一つだけ。デザインという仕事には、明確なゴールがあったから。何かの目的に向けて逆算してなら、一直線に動ける私にはピッタリでした。

しかも、今になって振り返ってみると、私が担当してきた仕事にはずっと、ある共通点がありました。
ジュエリーの魅力をいかに伝えるか。キャラクターや芸能人という素材をいかに活かすか。プロダクトをいかに売り場に届けるか…
どれも、ゼロから生み出すんじゃなくて「そこにある素材をいかに輝かせるか」という仕事。
学生時代のコンプレックス、「自分から湧くものがない」は、実は「人や物の本質を見抜いて、正しく届ける」という能力として、じわじわ育っていたんです。
当時の私は全然気づいてなかったけど。
救急車の中で、諦めた
でも、デザインが楽しくても、会社という場所のしんどさは消えなかった。
10年以上、毎日毎日「嫌い嫌い嫌い」と心の中で唱えながら、牢獄に自ら通うような状態でした。 視野はどんどん狭くなって、常に全身が擦り傷だらけのようにヒリヒリしてた。
誰に触れられても痛くて「触らないで!」と怒り散らすような、ギリギリの精神状態。
そしてある日、普通なら大したことない議題で、気持ちのバランスを崩して、全社員の前で白目をむいてぶっ倒れました。
精神的なものからくる、過呼吸と不整脈。
救急車の中で、ずっと内側に隠して編み込んでいたインナーカラーの金髪がはらりと解けて、同乗していた上司にそれを見られた瞬間、思いました。
「普通が一番」と信じて、黒髪を保ってきた。普通の会社員でいなきゃ、と思って10年以上通い続けた。でも、髪を黒いままに保つ、それすらこんなに苦しかったんだ。
自分を普通に見せようとして必死で隠してきたものが、よりによってこのタイミングでバレた。その間抜けさがちょっとおかしくて、でも本当に限界で。
もう…ダメだなぁ、と思った。
その諦めが、ある意味では救いでした。もう、無理に普通を目指さなくていい。会社員生活を、終わりにしようと決めた瞬間でした。

遠回りに見えた道が、全部つながっていた
会社を辞めてからは、少しデザインと距離を置きたくて。 3000以上の商品を10年以上かけて世に出してきたこともあり。もう…ちょっと、休みたかった。
そんな時期にハマったのが、ジャーナリングを軸にした自己啓発と心理学でした。
疲れ果てていた私には「今までと違うものを信じてみないと現実は変わらないかもしれない」という感覚があって、一度まるっと受け入れてみることにしました。
それまでいかに自分が「普通」「常識」「〜すべき」という固定観念の中で生きてきたかを思い知らされ、世界の見方が180度ひっくり返っていきました。
その後心理学も本格的に学ぶようになり、トータル6年ほど「人間の心理の成り立ち」についてひたすら学び続けることになります。
一時期は本気でカウンセラーを目指した時期もありました。向いてなくて早々に諦めたけど。笑
紆余曲折あり結局デザインの道に戻ることになるんですが、この時間で身につけた「人間の成り立ち」「人の人生を丸ごと掘り下げる技術」は、
デザイナーとして働いていただけでは得られなかったもので、今も私の仕事の一番の核心にあります。

「依頼されたものを作る」という枠の外へ
心理の世界への探究がひと段落し、いちデザイナーとしてメインの集客の場をSNSに移してから4年ほど経った頃、このままでいいのかな?と思うようになりました。
当時から私のクライアントは独立起業を目指す女性が多く、浮き沈みの激しいこの業界で、いくらデザインを作っても、その人の事業がうまくいかずに活動終了となれば、作ったデザインも消えていく…というのを目の当たりにしていたので、少し疲れていたんです。
デザイナーという枠を越えれば、もっと伝えられることがある。もっと、事業に結果を出させる関わり方ができる。
そう感じたところから、個人事業主向けのブランディング講座【BE-Brand Project(通称ブラプロ)】の提供を開始。
すでに何かしらの技術を持っている個人事業主が、このWebという大海原で埋もれてしまわぬよう、 その人それぞれの特性を活かしたブランドを構築、
さらにはそのブランドを浸透させるWebマーケティングまでを伝える活動を開始しました。

「素材を活かす」ことが、私の仕事だった
私が徹底してきたのは、「人」にフォーカスしたブランド構築です。
個人事業主が大きな市場と戦おうとしても限界がある。 だからはなから、独自路線にポジションを作る。
そのために一個人が持つ最もオリジナリティの高いものって何かといえば、その「人」そのものなんです。
一人ひとりの人生や商品の成り立ちを丸ごと掘り下げて、そこに眠っているものを見つけ出す。それを価値として伝わる言葉とビジュアルに編集して届ける。
これって実は、どの会社にいても、私がずっとやってきたことそのまま。
学生時代に「自分の中から湧くものがない」とコンプレックスに感じていた「素材を活かす力」が、ここで全部つながりました。
デザインでもなく、カウンセリングでもなく、ブランディングでもなく。「埋もれている人の本質を見つけて、伝わる形にして、正しい場所に置く」こと。

普通なんて無いから「自分に回帰」する
救急車の中で、インナーカラーの金髪がバレた瞬間のことをたまに思い出します。
髪を黒いままに保つ、それすらあんなに苦しかった。普通でいようとすることが、じわじわと自分を削っていた。
でも今思うのは、あの苦しさは「普通でいられなかった」ことへの苦しさじゃなかったということです。 「自分をそのまま活かせる場所に、まだ立っていなかった」ことへの苦しさだった。
「普通」なんて、本当はどこにも存在しない。あったのは、自分でそう思い込んでいた「枠」だけでした。
だから、自分を枠に押し込めようとするのをやめた。抗うのをやめた。 その代わりに、あらがいようのないこの「自分」という素材を、どう使うかだけを考えるようにした。そうしたら、仕事になった。
この、あらがいようのない自分に回帰し、それを生業としていく働き方が、後々私が提唱することになる Re:root work(リルートワーク)という概念の核心です。

新しいスキルを身につけて別の誰かになる必要はない。変えようとしてきた個性や特性が抗えないなら、そのまま使えばいい。 自分という人間が、そのままポジショニングになる。
ただし受け入れるだけでは、ビジネスとしては弱い。 個性は「理解する」だけでは何も動かない。 市場の中で機能させて、はじめて仕事になる。
そのために個性と市場をどう【接続】するかという設計が必要で、それが、私がずっとやってきた仕事の正体でした。
お互いの「変」をおもしろがる世界
幼い頃から兄の養護学校に連れて行かれて、「変」に見える人の中にある個性を、ただの個性として受け取ることが私の普通でした。
だから、誰かの個性が一般的に変だと言われているものであっても、私には違和感がない。
中学生の頃に夢中で読んだ小説のことを、今もよく思い出します。
世界の危機が起きた時、世界中の神様が集まって、それぞれの能力を使って世界を救う、という話。
一人ひとりは欠けていたり、能力を持て余して人間界では生きづらいこともある。でも、正しい場所でその力を解放した時、世界が救われる。
あの頃から変わらず、その世界観が好きです。

個性とは、人と少し違うところのことを言います。人と少し違うところは、ある種「変」です。 自分が自分の「変」を認めて活かしてあげると、人の「変」も面白がれるようになる。
それは、その人が正しい場所で好きなだけ力を解放できる世界。そうなれば世界全体が少し良くなる。本気でそう思っています。
自分に回帰(リルート)し、それを生業(ワーク)として働くことが最高に楽しいということを伝え、そしてそれを実現できる人を増やしていくことが、これからの私の仕事です。




