お仕事の記録

【前編】「普通が一番」と言われて育ったけど、普通じゃない場所で息をしてきた話

突然ですが、あなたには「なんか自分ちょっとズレてる気がする…」と感じたことはありますか?

みんなと同じことをしているはずなのに、うまく合わせられない。「普通」に収まろうとすればするほど、じわじわしんどくなっていく。

私には若干、そういう感覚がありました。

若干です。合わせようと思えば全く無理ってことでもない。 だからこそ、その感覚の正体がなんなのかを理解するのに、30年近くかかったんですよね。

私が育った、どこにでもある少し特殊な家。

父方の実家は、文化勲章を受賞するような日本画家の血筋で、親戚には人間国宝の陶芸家や記念館が建つレベルの芸術家がゴロゴロいる家柄でした。

祖母を「おばあちゃん」と呼ぶと、必ず「おばあちゃま、ですよ?」と言い直される。 父は近所の八百屋で「坊ちゃん、いらっしゃい!」と声をかけられる絵に描いたようなボンボン。

ただし父は8人兄弟の7番目。いわば、みそっかす。

母は山形の出身で、嫁いだ時兄嫁に「世が世ならあなたなんて嫁いで来られない…」なんて言われたそうです。

そんな家に生まれた私には、5歳年上の兄がいました。自閉症と難聴の重複障害を持つ兄です。

「世が世なら…」なんて言っちゃうような家柄に、障害のある子ども。 両親はそっと外の世界と距離を置いて、家族だけで静かに生きることを選びました。

近所付き合いもほどほどに、親戚の集まりも顔を出さず、友達付き合いもひっそりと閉じました。 結果、我が家は図らずも、ガラパゴス化していったようです。

その「ガラパゴス」が私の価値観の土台になっていたと気づくのは、ずっとずっと後のことです。

「普通」という言葉を、初めて意識した日

物心がつく頃には、兄の養護学校(障がいのある子どものための学校)の行事によく連れて行かれていました。

これが普通の小学校とは、まぁ〜違う。よく言えば個性が飛び抜けた子たちの集まり。見方を変えれば、無秩序なカオスの世界。

「よーい、ドン!」とピストルが鳴ると、全員が散り散りに走り去っていく運動会。

意味不明な奇声を上げながら次々と人に抱きついて回る子、 他人のカバンにズボッと手を突っ込んでポケットティッシュの広告を集めることに命をかけてる子、 自分より小さい子を躊躇なく小脇に抱えて誘拐しようとする子。笑

でも、そこにいる大人は誰も本気で怒らない。

「あーはいはい、〇〇ちゃん、今はちょっと我慢ね」くらいで、それぞれの個性を把握して宥めて、受け入れてる。まぁ…そうするしかないんだけど。

それが私にとって初めての「学校」でした。

だから小学校に上がった時は、カルチャーショックでした。みんながみんな、同じ行動をとる。同じペースで動く。ピストルが鳴ったら同じ方向に走る。

そっか、これが「普通」なんだ。と思った。

その頃、両親がいちばん繰り返し言っていた言葉があります。 「人生は思い通りにいかないもの。だから、普通が一番。」

障害のある兄を育てながら、自営の飲食店の経営に苦しんでいた両親がそう言うのだから、人と違うことは大変なことなんだと、幼い私はそっと心に刻みました。

普通でいよう。普通が一番。 それが小学校生活という人生初の【普通】に飛び込んだ私の、無意識の指針になっていきました。

ドールハウスと、はじめての「くやしさ」

小学4年生の夏休み。私は自由工作で巨大なドールハウスを一人で作りました。

母が持っていた「大草原の小さな家」を再現するためのかなり大人向けの本を参考に、図面を読み、材料を買い揃えるところから全部一人で。

壁を一枚作るにしても、ただ板を切るんじゃなくて、骨組みをカットして組み立てて、その上にボール板を貼って、和紙で壁紙を表現して…という、見えない部分まで本物の家のように組み上げる、ガチのドールハウス。

それを、小学4年生が夏休み1ヶ月で一人でやり切ってしまった。

今振り返ると何かに憑かれてたとしか言いようがなくて、誰に誘われても遊びにも行かず、朝起きてから寝るその瞬間まで毎日毎日……って感じで作り続けてました。

正直に言うと、これを作ったらすごいって言われるだろうな〜と思ってた。

夏休みの1ヶ月で会わなかった間に、とんでもないものを作ってきた!ってみんなをびっくりさせたかった。

(実際に作ったドールハウス↓開閉式になってます)

でも結果は「大人に作ってもらった疑惑」をかけられる、というまさかの展開。 しかも担任の先生にも信じてもらえなかったというんだからひどい話で。

今なら笑えるけれど、あの時の「なんで!?」という気持ちは、なかなかくすぶりました。何かに憑かれたように夢中になって、寝食も遊びも全部捨てて作ったのに。

ちょっとここで、伏線を置いておくと、この「何かに憑かれたように動き出す」感覚、のちにもう一度出てきます。

「はみだしクラス」で出会った、本当の居場所

小学5年生のクラス替えで、私は「はみだしクラス」に配置されました。 名簿を見た瞬間「こんなクラス嫌だ!」と号泣したくらいです。

それまで「普通」を心がけて、いけてる女子グループにいた私は、そのグループからたった一人だけ切り離されて、見るからに手がかかりそうな、クラスで浮いてる子や多動な子たちのクラスへ。

今考えると相当意図的な割り振りだったと思う。けど、先生たちよくわかってるな…とも思う。

で、案の定そのクラスはイカれてました。

昼休みにはさだまさしの関白宣言が大音量で流れ、男子たちは親父ギャグのごとく四字熟語を披露することに命を燃やし、 女子はゴム跳びや花札やはないちもんめに興じ、誰も外に遊びに行かない。

小学5、6年生なら恋愛の一つも気になりそうなものなのに、そんな気配は微塵もなく、昭和初期の小学生のような……よく言えば純粋。

見方を変えたら、あんたら人生何周目?ここは老人ホームか?みたいなクラスでした。

でも、このクラスはとてもとても平和だった。

いじめも嫉妬も何もない。めちゃくちゃ個性的でも誰も気にしない。 スクールカーストなんて一切なくて、お互いにほどよく干渉しないのになぜか仲がいい。

それまで「普通でいること」「人気者であること」をどこかで競っていた私にとって、このクラスは心から息ができる場所でした。 ここで出会った友人たちは、今でも一生付き合う親友です。

ここで改めて思い知りました。あ、私、普通じゃない場所の方が生きやすいのかもしれない、と。

「好き」を追求することは、かっこいいこと

(中学校は暗黒期だったのですっ飛ばして…)高校は母の勧めで美大の附属へ。

「普通が一番」と言いながら美大を勧めるのか…と今なら思いますが、うちにとっては親戚一同芸術家系だったので「これがうちの普通」だったんでしょう。深く考えなかった。

美大附属はめっちゃくちゃにオタクの巣窟で、「埋もれたら負け、変な方がかっこいい」という価値観が当たり前な環境でした。

あの「はみだしクラス」がそのまま大きくなったような場所で、また息ができる、と思いました。

女子しかいないというのもとてもありがたくて、みんなモテるとかそういうものに一切興味がない。 それよりも、いかに自分の好きを追求するか?

オタクであればあるほど輝いて見えて、私も御多分に洩れず、夏と冬には東京ビッグサイトで同人誌の即売会にも参加し、ライブ参戦時にはどれだけ完璧なコスプレができるかに命を燃やすガチオタな女子高生時代。

この時も、いかにクオリティを上げるか?いかに本人に近いものを再現するか?ライブ会場でどれだけみんなの度肝を抜けるか?というのが私の関心事項で、
そのためなら生地屋を何件もハシゴして、本人が使っていたのと全く同じ虎柄の生地も探したし、 バイト代は全てそれに注ぎ込んだし、
寝ないでミシンを動かして、ゼロからスーツまで作ってしまっていました。

(実際に作っちゃった虎柄のセットアップ↓裏地までつけてこだわってますね…)

誰の目も気にしない。好きを追求すればするほどそれはかっこいいこと。

そこに常識だとか普通だとか、そういうものが吹っ飛んでるということは、あんまり気付いてなかったように思います。だってそういう環境だったから。 (今だから言えるけどコスプレしたまま山手線で移動してた…)

美大で突きつけられたコンプレックスは後の才能に

大学時代はデザイン学科の木工ゼミに所属。 つなぎに頭に手拭い、防塵マスクとゴーグルという出立で工房に籠り家具などの立体物を制作する日々。

早起きが苦手でわりと学科の授業はサボっていましたが、実技だけは真剣に取り組んでいました。

でも、そこでひとつのコンプレックスを抱えるようになりました。 私には、自分の内側から湧いてくる「作りたいもの」がない。

同級生を見渡すと、先生の指示をガン無視で自分だけの表現をあふれさせながら作品を作り上げていく子がたくさん。 評価は低くても、自分の好きを全力で追いかけている彼女たちが、なんかかっこよかった。

対して私がやっていたのは、「この課題で先生が求めているものは何か?」「その期待のちょっと上をいくには?」を毎回ひたすら考えること。 自分の中から湧くものがないので、ゴールから逆算して作るしかなかった。

それに、締め切りまでにどれだけ詰めてクオリティを上げられるかをゲーム感覚でこなすのは、わりと得意だった。

結果、すべての課題でA〜Eランクを飛び越えたSランク評価をもらいました。

でも、心から喜べなかった。自分の中から湧いたものじゃないから。 「周囲を観察し、小賢しく折衷案を探って、教授に媚を売っただけ」という感覚が、いつもどこかにありました。

このコンプレックスが、のちに私の最大の武器になるとは、その時はまだ知りませんでした。

続きは次の記事で。
「普通の会社員」を目指して就職した私が、10年以上かけて限界を迎えるまでの話を書きます。

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