自分・家族のお片づけに悩んでいるかた、子育てに悩んでいるかたに
「こころ」と「おうち」と子育てを調えてふうふ・おやこ・人生をスッキリさせるスキルを身につけ
ママも家族も笑顔で幸せになれるそんな暮らし創りをお片づけレッスンでサポートしていきます。
①心ほどくセルフチューニング
②心を観るお片づけ心理学
③望みを叶えるインテリア術
を通して、本当に生きたかった居場所を育て直していくことをします。お片づけを通して、お家を調えていく方法が身に付くことはもちろん自分の本当の気落ちに気づいて本当にホッとする居場所を自分の心や家族の中にも広げていくそんなレッスンです。
ただただお部屋を片付けるハウツーではなく、心を観て自分の感覚(好き、いいな、ワクワクする、キュンとする)を感じる時間を増やしたり、
繋がったり、自分の本当の気落ちに気づいて本当にホッとする居場所を自分の心や家族の中にも広げていくレッスンを行います。
yurumaruを例えるならば、自然の中にあらわれる、疲れた人を癒す温泉のような役割。 必要な人はいつ来てもらっても大丈夫。 おしゃべりをしてもいいし、じっと黙って癒されていてもいい。 元気になったなと思ったら、好きなタイミングで次の場所へと歩みを進めていくそれぞれの背中を、嬉しい気持ちで見守っています。
癒す・治す・包む・受け止める
かすみ、子供の気配(木のおもちゃ・手)、ソファーのあるお部屋、昭和の台所(おむすび)
Bryant
ほのか明朝
自営業の忙しい両親の元、長女として生まれ、 人見知りながらもいい人たちに囲まれ、のびのび育ちました。
性格は、動物や絵が好きで、マイペース。
けれど弟が生まれ、お姉ちゃんになってからは、 マイペースな性格を強制するような、否定や比較が強い家庭環境になっていきました。
そんな中で「ワタシは頑張らないとダメな人」というレッテルを自分に貼ってしまい、 お家の中に安心できる居場所がないと感じていました。
何をしても、何を言っても、母に否定されている感覚で育ってきたため、 全然しっかりしてないのに、しっかりせねばと感じて、 頑張るけれど、ことごとくうまくいかず、自己肯定感が低い幼少期。
できる誰かと比べては、容姿や勉強、性格など、 満点の取れない自分を否定しているので、自分の意見に自信がなくて、 いつの間にか、正解に合わせることや、満点を取ること、 平均値より上でいなければダメという当たり前ができてきて、
だから、いつも影にいた方が楽で、 他人の顔色を伺って生きる方が安心できました。
そんな18歳のある日、突然、母が亡くなります。
母は自分を責めて、自ら命を絶ったのです。 その時、母も私と同様、自分をずっと否定してきた人だったのだと気づきました。
残されたぐちゃぐちゃな家と母の遺品の片付け。 今思えばこれが、私と片づけの、初めての出会いになります。
いくら学んでも片付けられないから「頑張らないとダメな私」
母の亡き後、家族と過ごす家を少しでも快適にしたいとは思うものの、 住環境はあまりにも、思い通りになりませんでした。
そこから、知識として学んだら良いのではないかと思い、 インテリアコーディネーター、お片づけの資格を取得していきました。
けれど、学んだだけでは一向に、自分の家は片付かなかったのです。
片付かない原因は、モノと向き合って、自分で決めていいという状況になった時、 何も決められず、選べなかったこと。
小さな頃に家の中でできてしまった、 「ワタシは頑張らないとダメな人」という当たり前を持ったまま大きくなった私は、 人の意見にそうことが当たり前、そのために自分の気持ちを我慢して、 頑張ることが当たり前でした。
人のために頑張れば、周りは評価してくれるし、成果が出れば、 成績が上がったり、資格が取れたり、お給料が上がるので 「頑張って生きる」「人の意見に沿う」ということに疑問もなく…。
だからいつも、家族の前でさえも無意識に気を使って 家の中でさえホッとするじぶんの居場所はありませんでした。
今思えば、そんな風に、自分自身ですら「自分で選ぶ」ということに 許可を出せていなかったのだから、片付かなくて当然だったのです。
けれど、当時の私はまだ、そのことには気づけませんでした。 ただただ何度も、できない自分を目の当たりにしつつ、 それを覆い隠すかのように、外で仕事を頑張って、人様の家を綺麗にしていきました。
その後、結婚して家族ができて、お母さんになりました。これで安心する居場所ができて笑って暮らせる、 片付けもきっとできるようになるし、幸せになれる。
そう思っていたのに、現実は、全く変わりませんでした。
片付けられないのは、お家のせいでも、家族のせいでもないのかもしれない。 どんなに場所が変わっても、一緒に住む人が変わっても、 自分が自分のために時間を使ったり、片付けたりできないと感じてしまう。
もしかしたら、片付けられない原因は、自分の心にあるのでは?
そんなことが頭をよぎりつつも、目の前の現実は、 「頑張っても結果が出ない」状況に直面し続ける毎日でした
あかちゃんは、笑わせようとしても笑わない、おっぱいも上手に飲めない、あげられない、 いくら気をつけても熱を出す、汗もでる、外で泣く、カートは乗らない、走る、 トイレに言ってもドアを開けられない、ご飯を作っても食べない、寝たと思ったら寝ない…。
自分の努力ではどうにもならない状況。 頑張ることと成果が比例しない状況。 これまでの生き方や、じぶんの評価を保ってきたやり方が通用しない。
けれど私は、頑張る以外の解決策を知りません。
どうにか力ずくで、努力で、知識で幸せになろうとして、 子育て方法、生活習慣、食事方法など、講座で学んでよりよくなろう、 問題を解決しようとさらに頑張っても、日常は変わらず。
ぐちゃぐちゃの家で、笑って暮らせない。
いつもイライラして子供や旦那にあたり、初めて家族を作った時に思い描いていた、 安心できる家族の居場所や、幸せに暮らす日常とは、どんどんかけ離れていきました。
そんなぐちゃぐちゃな心と頭で笑って暮らせない中、 追い打ちをかけるように、今度は父が長くは生きられないと知りました。
私は、残りの時間を幸せに過ごしてほしいと思い、 夫に頼み、私の実家に家族で戻り、父の介護を始めます。
最初の一年は、一緒にご飯を食べたり、テレビをみたり、息子をみてもらったり、 これまで過ごせなかった忙しかった父との親子時間を、過ごさせてもらっているようで幸せでした。
ただ、だんだん病状が悪化し、 父が自力で食べることも、歩こともできなくなっていった頃、お家の中は荒れ果てていき、 私の心は限界を迎えてしまいます。
介護と育児、どっちもちゃんとできない。上手く行かない。
そんな状況から私は、 結婚してよかったのか、お母さんになってよかったのか、自分が父の娘でよかったのか、 自分が選んできたことが間違いではなかったのか? そもそも生まれてきてよかったの?
そんなことまで考えるようになってしまっていました。
ぐちゃぐちゃな家の中では、余計に自分を責めて、 外でどんなにいい仕事をしても、楽しんでも、帰ってくるのは結局家だから、片付いてない場所で過ごす時間はどうしても、 ダメな自分を否定し続ける時間へと変換されてしまいます。
自分を否定しているので、湧いてくる心の声すら否定して家族に自分の気持ちすらちゃんと言えなくて… 助けを求められずに、1人で背負いこんでしまっていたのです。
家族なのに、自分の気持ちを言えないって、一番悲しい。 大切な人にわかってもらえないのは、悲しい。家族といても、心が繋がらないのって、とっても孤独。
それで人生が終わっていいのかな、いや、それで終わっていくのは嫌だな。
心が泣いてるのに大丈夫なふりをしたりいつも無理して笑ったり、自分の心の声を否定していることに力を尽くすよりだから、私は、自分の家族に本音を伝えられる自分になって本音で生きていく暮らしを迎えにいきたい。
そう、強く願った瞬間でした。
そこから私は、表面的な片付けの方法だけを学び、実践することから少し離れ、 自分の心を観るお片づけの方法に目を向けるようになりました。
そして、環境を整えられないのは、無意識に強烈な自己否定があったからだと気きます。
そうか、私は自分を否定しているから、自分が心地よい環境で生きることを許せなかった。 知らず知らず、片付いてないことや、他人を優先して我慢することを通して、 自分自信に罰を与えていたのかもしれない…。
片付けられるようになるには、知識やハウツーではなく、 まず、無意識の自己否定を緩めていくことが必要だったのです。
いくら頭で知識を知っても、心が許していなかったら、体はスムーズに動かない。 その気づきは、大きな救いになりました。
努力や根性で走り続けるお片づけではなく、頑張らくても、 心が喜ぶことを許してあげる方向で、自分も周りも幸せになっていく。
小さな頃からの当たり前が、真逆になった瞬間です。
片付いてない家の中は、本音が言えなくて、他人軸で、 頑張らないと価値がないと思い込んでいた自己否定の象徴でした。
ただただ片付けるハウツーではなく、自分の感覚(好き、いいな、ワクワクする、キュンとする)を感じる時間を増やしたり、繋がったり、取り戻していくことこそが大切。 そこを無視して、自己否定が緩まないと、いくら片付け方を学んでも現実は苦しいまま。 これは、私自身が心を伴った片付けの学びをする中で、気づいていったことです。
辛い想いで何かを変える必要はなくて、ただ今は、心の声が詰まっているだけ。 その詰まりをとっていくことこそが、片付けられるコツ。
ただ、心の詰まりを取ることがコツと分かっていても長年の心の習慣は変わりません。
お家は片付いても、自己否定する自分はずっといました。
この自分とどう付き合っていけばいいんだろう
本当に心から穏やかな暮らしをしたい
自分の本音を自分で一番わかりたい
自分の味方になってあげたい
そう感じて、さらに心の学びを深めていきます。「片付け」と「自分の本音にたどり着く心詰まりをとっていく学び」を通して自分の声を聞けるようになれたら、 人生さえも選んでいけるようになる。
自分の選んだ、安心する環境と心で、家族と共に健やかに生きる。それって、難しくないし、怖くない。 少しのコツを知れば、誰にでもできることだったんです。
片付けられない自分を否定して頑張ろうとすることや、 選択して決めたことを自ら否定することは、誰の人生にも必要ありません。
自分が自分と仲良くなること、味方でいること、応援することを、 お片づけを通して練習することで、自分の育て直し、生き直しができるんです。
なぜなら、お片づけって「やらねばいけないこと」の代名詞だから。
だから「もう、そんなことしなくていいんだよ」って、心を解放して、 他の誰でもない自分が自分に言ってあげられる環境を作れるようになることから、 自分の心との調和、安心できる暮らしが始まります。
片付けながら、本当の自分の本音とつながる体験を何度もすることで、 日常も、人生も、本音で生きられる時間が増えるんです。
本音で生きるということは、自分の軸とぴったり一致すること。 それは大変なことではなく、心地よいことです。
自分と仲良しになれたら、調和できたら、 次は自然と、家族との調和も始まります。
ずっと叶えたかった、幸せなお家を作る始まりは、自分と仲良くなるお片付けから。
そんなお母さんや家族が増えたら、
きっと、平和。
2014年11月ソニー株式会社を退社。
ソニーでは、秘書・事業企画・商品企画・Web企画制作・社内広報・空間コミュニケーションデザインなどを経験。
得意分野は仮説検証とプロジェクトマネージメント。
2015年10月より個人事業主として独立。
現在、ジャズコンサートとリスナーとの新しい出会い方を提案し、応援する、「ジャズコンサート企画」を手掛ける。
2016年~「日曜日のジャズライブ」 (UCC ”Mellowbrown Coffee自由が丘本店 *現在閉店)
2017年~「文化の森ホールコンサート」(大田区大森)
2018年~「お寺で音楽会」(池上本妙院)
2019年~ メイプルホール相模原、など。
2021年までに、77公演のジャズコンサートを企画実施
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